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ケ・サラ・サンレモの歌がなぜ反戦・革命の歌になるのかQue Sera" live by Jose Feliciano

 

ケ・サラ・サンレモの歌がなぜ反戦・革命の歌になるのかQue Sera" live by Jose  Feliciano

 

イタリアのサンレモは、隣国フランスのニース、モナコに隣接する人口4万6000人前後の小さな町だ。平らな土地は少なく街のちょっとした高台や丘からは海がよく見える。

 

サンレモは、第二次世界大戦終了後、イタリアの戦後復興を目指し隣接するモナコやフランスのニースなどから観光客を誘致し、外貨を稼ぐ目的でカジノを作ったり、1951年から音楽祭を開催するようになった。これがサンレモ音楽祭のはじまりでイタリア全土にラジオ・テレビ放送が行われてきた歴史がある。

 

(ホセ・フェルシアーノのケ・サラ・・スペイン語"Que Sera" live by Jose Feliciano. ・・南米チリでの演奏in Vina del Mar - Chile. http://www.youtube.com/results?search_query=jose+feliciano-que+sera+sera-spanish+version-live&oq=jose+feliciano-que+sera+sera-spanish+version-live&gs_l=youtube.12...0.0.0.1632.0.0.0.0.0.0.0.0..0.0...0.0...1ac..11.youtube.

 

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ところで、1971年のサンレモ音楽祭2位になった曲に「ケ・サラ」という曲がある。編曲しやすい歌なので、オルガンやピアノで昔はよく弾いたものだ。これがなぜか、反戦・革命の歌に変貌してしまった。原曲は、イタリア南部の貧しい村の様子と、その変化のない生活に退屈し若者が村を捨てて出て行くといったストーリーだが。以下原詩の訳と思われる歌詞

 

ぼくの村は丘の上に
眠る老人のように横たわっている
退屈と無気力と何もないこと
それがこの村の病気だ
ぼくの村よ、ぼくは出ていく

ケ・サラ、ケ・サラ、ケ・サラ
ぼくの人生がどうなるか誰もわからない
何だってできるか、何もできないか
明日になればそれもわかる
そしてなるようにしかならないさ

愛する人よ、きみの唇にくちづけよう
それはぼくの初恋だった
きみとまた会うことを約束するけど
いつ、どこでとは言えない
わかっているのはぼくが戻ることだけだ

ケ・サラ、ケ・サラ、ケ・サラ
ぼくの人生がどうなるか誰もわからない
ぼくはギターを持って出かける
そして夜に泣きたくなったら
村の葬いの歌でも弾くことにしよう

友達もほとんど出ていってしまった
残ってる連中もぼくの後に続くだろう
悲しいね、だってとても良い仲間だったんだから
でもすべては過ぎ去り
すべては消えてしまうんだ

 

(イタリア・サンレモ、モナコ・ニースと隣接する小さな町)

 

 

それが、どういうわけか反戦・革命の歌へ・日本語で歌われている不思議。

 

 

1.押さえ切れない怒り
  こらえ切れない悲しみ
  そんなことのくり返しだけど
  決して負けはしないさ
  ケ・サラ ケ・サラ ケ・サラ
   僕たちの人生は
   平和と自由もとめて
   生きてゆけばいいのさ

2.泣きはらした夜
  迎える朝のまぶしさ
  涙の乾くときはないけど
  決して倒れはしないさ
  (くりかえし)

3.いつも思い出すのさ
  自由のために死を選んだ
  グェン・バンチョイ ジョー・ヒル
  ビクトル・ハラを
  決して忘れはしないさ
  (くりかえし)

4.広く高く大きく 
  明日に向かって力強く
  人間のやさしさをうたえ うたえ 
  うたえ うたえ うたえ
   うたえ うたえ うたえ 
   人間のやさしさをうたえ うたえ

 

**グェン・バンチョイ ジョー・ヒル、 ビクトル・ハラは、れっきとした革命家であり数多くの迫害を受けた。・・原曲の歌詞とは、関係性は皆無。

 

 


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  • 2014/02/18 12:45 PM
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