上村遼太君「やばい!殺されるかも」川崎市大師中学1年残虐殺人事件

JUGEMテーマ:社会の出来事
 

上村遼太君「やばい!殺されるかも」川崎市立中学1年殺人事件


テレビ朝日等の報道によると「
殺害された上村遼太君(13)は、よく遊んでいたグループへの悩みを事件前に友人に相談していました。」

上村君は、友人に対して「やばい、殺されるみたいな。殴られたっていうことが45回続いて」と語ったという。


それにしてもなぜ、今回のような残虐非道な事件が防げなかったのだろうか。上村遼太君に対する暴行傷害行為は、先輩に「万引きを強要され」それを断ったことから、脅迫・暴行傷害行為が繰り返されていたようだ。このような悪質な事件に対抗するためには以下のような厳然とした対処をすべきだ。


1.
脅迫や暴行傷害を受けた場合、人生経験が余りない13歳前後の少年の場合、周りが速やかに対抗手段をとり本人を守ってあげるしかない。


 
2.
親の対応として、子どもが現実に顔面が真っ黒になるほど、暴行受けた場合、即110番通報。速やかに刑事告発を行うこと。相談している猶予などない。


 
3.
生徒に対しては、悪質な犯罪行為を見つけた場合、学校の先生や、周りの大人に速やかに知らせる責任があることを徹底的に教育する必要がある。今回のケースは、親も複数、多数の生徒・友人たちも気がついていた。なぜ、周りの大人に知らせなかったのか。


 4.
また親は、警察を過信することなく、本人の保護を優先すべきで、学校へは行かないのは当然として、速やかに親戚など遠方に子どもを預けるべきだろう。間に合わない場合は、一時的に児童養護施設等に保護してもらう。
 
5.110
番通報と刑事告訴は絶対条件だと思う。どちらも事件化する意味がある。告訴をするのは、警察等に捜査義務が生じるからである。また、警察に対しては強い危機感を訴えるべきだ。警察は24時間体制で、勤務がシフトするため、その都度、警察に対して危機が迫っていることを繰り返し訴えなければならない。必ず文書と口頭で伝える。文書で伝えることは後に重要な意味がある。


 6.
告訴状は自分でも簡単に作成できるが、一刻を争う場合は、警察は嫌がるが、口頭でも可能である。(刑事訴訟法参照の事)また、弁護士に依頼した方が早いケースもある。いずれにしても、多くの目で、上村君のようなケースは、守っていかなくてはならない。

 
☆何より大切さなのは、情報が漏れないよう、学校や地域から安全な場所に本人を移動し保護することである。桶川ストーカー女子大生殺人事件場合でも明らかになったが警察の過信は禁物である。防犯カメラの設置や、万が一の対抗手段も準備しておく必要がある。転居することも速やかに検討。

 

☆周りの大人が、初期対応を誤ると、最悪、転居しか方法がなくなるので、事前に悪質な芽は摘むしかない。


いずれにしても、何の落ち度もない少年に対して理不尽な暴行・強要・恫喝・傷害を行った者に対しては、厳しい社会的な制裁が必要だ。

私は、今の少年法には、加害者=犯罪者の更正が全面に出ていて、被害者ほぼ、泣き寝入りしかない。大きな痛手、大きな心の苦痛や傷、最後は、理不尽で・残虐な集団暴行を受けた上に殺害される。被害者の更正は断たれ、残された家族は一生苦しみ続けなくてはならないなど納得など出来るはずがない。このようなことは絶対に許されてはならない。


上村遼太君1ヶ月前、激しい暴行で顔が全面青くパンパンに腫れていた・川崎市立大師中学1年生

JUGEMテーマ:つぶやき。
 

上村遼太君1ヶ月前、激しい暴行で顔が全面青くパンパンに腫れていた・川崎市立大師中学1年生



それにしても卑劣すぎる。残虐すぎる。首の後ろから必要に何度も刺し、切りつける。上村君は、闇の中で怖かったろう。恐怖で震えていたのだろう。

「遺体発見現場から数十メートルの場所では、大量の血だまりとともに、血のついたカッターナイフの刃が見つかり、凶器として使われた可能性があるとみられている。また、物を束ねる際に使用する結束バンドも見つかっていて、警察は、関連を調べているという。 また、殺害されてからおよそ1時間後、現場からおよそ800メートル離れた公園のトイレで服や靴が燃やされる、ぼや騒ぎがあり、上村さんのものの可能性が高いとみられている。」

 
恐らく犯人が証拠隠滅のために行ったのはみえみえ。それにしても手口が極悪非道だ。加えて「FNNの取材で、1カ月ほど前に、殴られて大けがをしていたこともわかった。仲が良かった友人は「明らかに顔がおかしかったので、問い詰めたら、『やられた』って言ったので。もう本当に、顔パンパンの状態で、顔面全部、青タンだらけでした。めっちゃ怖がっていました。『絶対に言わないでください』って」と話した。

 これらの話を聞いていると、極悪非道な残虐な殺人事件は、事前に防げた可能性が高い。恐らく、不登校になってしまったのは、学校へ行くことの恐怖心からだろう。複数の同中学の生徒たちがこの事実を知っていた。

 
このような悪質なケースは、本人に対して報復をちらつかせながら脅し、口封じを行うのが常套手段だ。おそらく、繰り返し脅しや暴行を受けていたのだろう。

この様なケースでは本人が、一種の強い脅しというマインドコントロールを受けており訴え出るのは非常に難しい状況に陥っている。また、親もこんな深夜に外出しているのに捜査願いを出していないとしたら問題がある。


上村遼太君
は、2013年9月、小学6年生の時、島根県隠岐の島(西ノ島)から川崎市の小学校へ転校、そして小学校を卒業後、住所からみて川崎市立大師中学へ進学したと思われる。中学では当初はバスケット部に所属し、遅刻もなく元気に学校へ来ていたという。ところがバスケット部の方は、夏休み頃から顔を出さなかったという。同中学の校長の話によると「明るく元気で人懐こく、友達が多かった。」とのことである。

また、クラスの同級生の話によると「クラスになじめていない様子はなかった。休み時間に友達とよく廊下で遊んでいた。」とのことである。


上村君は、島根の隠岐の島(西ノ島)から、なれない川崎という都会に来て、懸命に学校生活等になじもうとしていたのだろうに。このような極悪非道な痛たましい事件からこの子を守る手立ては会ったのに残念無念で悲しい。以下の手立てが取れなかったのだろうか。


1.
暴行を受けた場合、家族は躊躇してはいけない。本人は先の理由のように暴行を受けたことを隠そうとするだろう。兄弟も多い家族である。これは、暴行傷害事件であり犯罪でもある。少なくとも親は、この事実を学校に知らせる。ためらうことなく110番通報する。暴行傷害事件として警察の捜査を待つ。何より子どもの命を守ることが優先する。


2.過去のいじめ裁判でも(個人的には犯罪行為と同等と考えている)、いじめを傍観していた者の責任が指摘されているように。1ヶ月前に顔全体が青タンでパンパンに腫れあがるような暴行をみたのなら、この事実を先生やその他、家族の人と等出来るだけ多くの人に知らせなくてはならない。暴行傷害は、犯罪であるという認識が必要だ。また、脅されているものは、報復の怖さから暴行傷害の事実をためらう。

このへんのところも、小さいうちから家庭も学校も子どもにきちんと教えなくてはならない。犯罪行為を傍観してはならない。被害者は弱い立場にあり、恐怖のマインドコントロールから自分への負い目を感じている。一刻も早く、誰かに知らせることが大切である。


3.
13歳の子どもが深夜2時前からいなくなって、捜査願いを出していなかったことは、ありえない話だ。13歳の子どもが、午後11時過ぎてももどらないとすれば、事件の巻き込まれた可能性もあり、警察への通報は、時間と競争だと考えたほうが良い。今回の事件は、1ヶ月前にひどい暴行を受けている。警察が捜査することにより、携帯が普通でも所在位置がある程度判明してくる。親にも何か事情があったかもしれないので大変申し上げにくいが、親の責任もあると考える。


4.
今後、成人の要件が民法上でも、18歳に引き下げられるだろう。当然、未成年の年齢も引き下げられることに伴い、刑事責任も重くしなければならない。

 犯罪者の人権、更正も大切だが、卑劣な極悪非道な手口で命を奪われた方の人権も更正の可能性もゼロであることから、犯罪行為を行った者にはそれなりの厳しい責任が負わされることを小さい頃から身をもって学ばせることも大切である。現在のような甘い刑事処分では、命を奪われた者の命の尊厳があまりにも軽く扱われているようで納得できない。


川崎市多摩川・中学1年生殺人死体遺棄事件・上村遼太さんと判明・残忍非道な手口

JUGEMテーマ:ニュース
 

川崎市多摩川・中学1年生殺人死体遺棄事件・上村遼太さんと判明・残忍非道な手口・・毎日新聞 2月21日より引用

 

○しかし、残忍な手口で絶対許されない殺人事件だ。首を刺し、切りつけ、顔や胸にも刺し傷や切り傷が多数あったとの司法解剖の結果が公表された。ある男性の目撃証言によると暴行を受け、内出血ためか肌が黒ずんで見えたという。まだ詳細は不明だが、複数の刺し傷が多数あったことから、集団暴行の上、殺害され、その上、証拠隠滅のため衣服を全部剥ぎ取る。携帯や所持品は見つかっていないが、近くで、被害者の衣服のようなものが発見されているという。殺人事件との関連も間もなく判明するだろう。

 午後2時ごろ殺害され、遺体は午前6時前後に発見され、母親が本日の午前中に身元を確認したと報道されている。母親の心中を思うとやりきれない。このような極悪非道、残忍な殺人を行った者は、厳しく罰しなくてはならない。

 また、上村さんは13歳で中学1年生、まだまだ、始まったばかりの人生と云っても過言ではない。

本人も無念だろう。一体何者がこのような残虐なことを行ったのか知るのも怖い気もする。

 

以下毎日新聞より引用・2015年2月21日

 

「川崎市川崎区の多摩川河川敷で男性の遺体が見つかった事件で、神奈川県警捜査1課は21日、被害者を同区大師河原2、中学1年、上村(うえむら)遼太さん(13)と断定し発表した。司法解剖の結果、死因は鋭利な刃物で首を刺されたり切られたりしたことによる出血性ショック死と判明し、同課は、殺人死体遺棄事件とみて、川崎署に捜査本部を設置した。
 同課によると、遺体の首の周囲に刺し傷や切り傷が多数あり、顔と腕にも小さな切り傷が複数あった。死亡推定時間は遺体発見の約4時間前にあたる20日午前2時ごろという。
 捜査関係者によると、現場近くの防犯カメラに事件発生時刻ごろ、いったん複数の人物が集団で通り、再び戻って来た際は1人減っている映像が残っていた。遺体の傷が多いこともあり、捜査本部は複数の人物による暴行の可能性もあるとみている。
 上村さんは発見当時、衣服を身に着けていなかった。現場近くには上村さんが着用していた可能性のある上着が落ちていたが、他の衣類や携帯電話など所持品が発見されていない。凶器も見つかっていないことなどから、捜査本部は21日午前から、河川敷付近を捜索。聞き込み捜査から、被害者が上村さんである可能性が浮上し、母親が21日午前、身元を確認した。
 現場はJR川崎駅の北東約1キロ。土手の上に遊歩道が整備された河川敷で、周辺に工場やマンションが建ち並ぶ。日中は住民らが遊歩道を散歩したり、ランニングしたりする姿が目立つが、夜間は暗く、人通りはほとんどない。・・・以上引用終了


VistaのCドライブ容量不足は、メーカー責任・多数のアクセスと4年間順調です

JUGEMテーマ:日々徒然

リコール対象でもいいくらいVistaのCドライブ容量不足は、メーカー責任が大半・NECなど多くのユーザーが右往左往・多数のアクセスをいただきました。Vistaは、4年以上順調に動いています。

上記プログを2011年1月1日web上に公開してから、毎日多数のアクセスを頂いています。4年経過した今でも、1日20〜30人を越える方からのアクセスを頂いています。当初指摘したとおり、Vistaには、コマンド・プログラム系のCドライブのパーテンションに問題があることは、このことからも、はっきりしています。 

さて、私が公開したパーテンション(ドライブの間仕切り変更)の変更から4年過ぎましたが、現在も、問題なくパソコンは動いています。本来なら、高額な代金を支払っているのにユーザーが、こんな基本的なミスの為、苦労しなくてはならないなど、本末転倒です。

ところで、現在も元気に稼動しているVistaですが、パーテンション変更後に注意を払っている点を紹介します。

web上、市販されているパソコンを快適に動作させる類のソウトのインストールは要注意です。根本的な原因を解決しないで、小手先の改善を望んでも、効果は、余り期待できないと考えた方がよいでしょう。特に、オンライン上は、無料といいながら、最後は、有料でないと、これ以上改善できないがどうしますか・・・お金を取るような巧妙なやり方をしてきますから、近づかないことが一番です。市販されているソフトも大した効果は、先の理由から期待は出来ません。

起動を早める為には、使用後、私は、スリープ状態にします。そうすると、起動時間は、3秒以内でとても使いやすいです。電気代は、たいしたことはないと思います。

6ヶ月か1年に一度は、デバイス(プリンター、マウス、IP電話等)及び、電源コードの全てを、パソコン本体から、外して10分程度待ってから、再度、デバイスを接続する。パソコンの帯電を放電することにより、パソコンの不具合が、かなり減ってきて安定すると思います。

小型の冷却ファンを取り付ける。Vistaは、CPUに負担をかける設計になっている為、熱を発しやすいです。本体に内蔵されているファンでは冷却は不十分で、本体外部から冷却する必要があります。私は、デスクトップ型なので、市販されている600円前後のファンをCPUの方向へ向けて冷やしています。ファンは、ゴムのように柔らかい物ですから危険は、全くありません。ノート型は、底から冷却する物がよいでしょう。このようにすると長時間使用しても問題ありません。

以上の以上の4点を守っていただければ、
Vistaは、元気に働いてくれるはずです。(但し、これは、私個人の経験に基くことであることを了解してください。)

DSCN0062 - コピー (2).JPG

2011年1月1日のプログ・・・・以下

しかし、パソコンのビスタを購入してから2年前後しか経過していないのに、Cドライブの容量不足が1GBを切るような事が、ここ3ヶ月前後続いている。最悪は、200MB(メガバイト)まで落ち込んで、赤い警告表示。

そこで、Cドライブに入っている、プログラム・コマンド系のソフトを順次削除していく。履歴の保存期間を1週間に短縮。デスクトップの写真なども削除していく。もちろん、最初からインストールされているゲームプログラムも削除。過去のメールも削除。お気に入りもどんと゜ん削除。

それなのに、パソコンOSなどの命令・プログラムの主要データを保存する、Cドライブが一杯状態で、結果パソコンの動作が非常に遅くなる。とにかく普通に使って、2年前後でこうなるとは、ありえない。そもそも、私は、ゲームは、将棋とパチンコソフトぐらいしか入れていない。後は、英語翻訳、マイペディア、音楽ソフト程度だ。

その前の富士通のパソコンは、8年間、前後使用したが、特段、問題は起こらなかった。2年前に購入したNECのハードデスクの構成は、以下の通り

Cドライブ  45〜50GB (メーカーが使っているパーテンション容量もある)

Dドライブ 245〜250GB

この問題、私一人かと思ったら、ネット上で多数の人が悲鳴をあげていた。一番の原因は、ビスタOSの命令・プログラム・ファイルの容量が最初からかなり食っているためCドライブの容量は、スタート時点から少ない。そのため、ちょっとしたソフトを入れてたり、ネットやメールなどの積み重ねでCドライブが満杯になり、警告表示が頻繁に出るということになる。また、最近のパソコンウィンドウズ7では、 Cドライブ Dドライブ のパーテンション=間仕切り例として以下のようなものになっていた。要するに、Cドライブがかなり大容量へ変更している。

Cドライブ 200〜300GB

Dドライブ  60〜400GB

それにしても、ビスタの製品出荷時に、CドライブとDドライブとのパーテンション(間仕切り)をメーカー・OSの使用分を除いても

260GB以上の余裕容量があったわけであるから、CドライブとDドライブのパーテンションの割合は以下のようにすべきであったろう。

 (メーカー出荷時)

Cドライブ  45〜50GB (メーカーが使っているパーテンション容量もある)

Dドライブ 245〜250GB・・・・・・合計300GB

   ↓         ↓

 (本来なら、Cドライブに少し余裕を持たせるべきだが・・・。)

Cドライブ  80〜100GB (メーカーが使っているパーテンション容量もある)

Dドライブ 195〜200GB・・・・・・合計300GB

NECなどの3年前〜2年前前後、PCのビスタ版を購入した多くの方が、 Cドライブの容量不足に悩んでおられると思いますが、NECの場合、購入後1年経過するとサポートは全て有料で、電話は、なかなか繋がらない。パーテンションの変更は、慣れていないとかなり難しいと思います。購入者が2年もしないうちに困るような設計をしておきながら、パーテンションの変更は、自己責任で行って下さい書いてありました。これをつかまされた消費者がバカをみるようなことを平然とやって、次のパソコンを買ってくださいということだと勘繰ってしまう。

結論から言いますと、私は、以下の手順で、 Cドライブの大幅な拡張をしました。

1.外付けハード(6000円前後を購入)にDドライブのファイル記録を全てコピーして保存。

2.Cドライブで自らインストールしたプログラムファイルを全て、コピーして外付けハードに保存。

****パーテンション(ドライブの間仕切り)を行う場合、データを削除しなければならないかです。******必ず予め行ってください。

3.「コントロールパネル」から→「システムとメンテナス」→「管理者ツール」→「コンピータの管理」→(次の画面は続行をクリック)→

「デスクの管理」→

→画面が出てきたら、(私の場合)は、Dドライブを選択して

→右クリックして、「ボリュームの削除」を「はい」でクリック→「空き領域」か「未割り当て領域」の表示が画面に出る→(私の場合未割り当て)の表示でとりあえず、9割方の作業完了。

 (空き領域の表示が出たら→空き領域」をクリックして「パーテンションの削除」をクリック→「未割り当て領域」) 

4.いよいよ、Cドライブの拡張へあとわずかです。

拡張したい「Cドライブ」を右クリックで→「ボリュームの拡張」をクリック→拡張ウイザードの画面の「次へ」をクリック→「選択した容量(自動計算されている)でよかったら、画面一番したの「次へ」をクリック→画面が変わったら→「完了」をクリックで終了。

****「マイコンピュータ」からCドライブを確認しましょう******

大幅に、Cドライブの容量がアップしますが、今後は、写真類など全て、外付けハードに保存しましょう。プログラムソフトが増えると、パソコンの動きが悪くなるので、メモリーを2倍に増設するか、リカバリーを行って、Cドライブのパーテンション(間仕切りを再度行うのといいでしょう。) 

最適化とか、プログラム削除だけでは、たいした効果は期待できません。根本的なCドライブのパーテンションのやり方がおかしいので、これは、メーカーのミスだと考えています。リコールの対象になる可能性も疑っています。NECの方見てたら、困っている購入者に救済の手立てを考えて欲しいです。

最終的にCドライブは、上記写真の通り283GBに5倍以上増やしました。さらにCドライブの空き容量は12月30日現在で780MBでしたから、空き容量は300倍以上に増えました。但しCドライブのパーテンションは、OSと直結しているので、手順を間違えるとOSが動かなくなる可能性があるので、出張修理でお願いするのが一番だと思います。

これで、余程のことがない限り、5年以上は使えると思います。


VistaのCドライブ容量不足は、メーカー責任・多数のアクセスと4年間順調です

JUGEMテーマ:日々のくらし

リコール対象でもいいくらいVistaのCドライブ容量不足は、メーカー責任が大半・NECなど多くのユーザーが右往左往・多数のアクセスをいただきました。Vistaは、4年以上順調に動いています。

上記プログを2011年1月1日web上に公開してから、毎日多数のアクセスを頂いています。4年経過した今でも、1日20〜30人を越える方からのアクセスを頂いています。当初指摘したとおり、Vistaには、コマンド・プログラム系のCドライブのパーテンションに問題があることは、このことからも、はっきりしています。 

さて、私が公開したパーテンション(ドライブの間仕切り変更)の変更から4年過ぎましたが、現在も、問題なくパソコンは動いています。本来なら、高額な代金を支払っているのにユーザーが、こんな基本的なミスの為、苦労しなくてはならないなど、本末転倒です。

ところで、現在も元気に稼動しているVistaですが、パーテンション変更後に注意を払っている点を紹介します。

web上、市販されているパソコンを快適に動作させる類のソウトのインストールは要注意です。根本的な原因を解決しないで、小手先の改善を望んでも、効果は、余り期待できないと考えた方がよいでしょう。特に、オンライン上は、無料といいながら、最後は、有料でないと、これ以上改善できないがどうしますか・・・お金を取るような巧妙なやり方をしてきますから、近づかないことが一番です。市販されているソフトも大した効果は、先の理由から期待は出来ません。

起動を早める為には、使用後、私は、スリープ状態にします。そうすると、起動時間は、3秒以内でとても使いやすいです。電気代は、たいしたことはないと思います。

6ヶ月か1年に一度は、デバイス(プリンター、マウス、IP電話等)及び、電源コードの全てを、パソコン本体から、外して10分程度待ってから、再度、デバイスを接続する。パソコンの帯電を放電することにより、パソコンの不具合が、かなり減ってきて安定すると思います。

小型の冷却ファンを取り付ける。Vistaは、CPUに負担をかける設計になっている為、熱を発しやすいです。本体に内蔵されているファンでは冷却は不十分で、本体外部から冷却する必要があります。私は、デスクトップ型なので、市販されている600円前後のファンをCPUの方向へ向けて冷やしています。ファンは、ゴムのように柔らかい物ですから危険は、全くありません。ノート型は、底から冷却する物がよいでしょう。このようにすると長時間使用しても問題ありません。

以上の4点を守っていただければ、
Vistaは、元気に働いてくれるはずです。(但し、これは、私個人の経験に基くことであることを了解してください。)

DSCN0062 - コピー (2).JPG

2011年1月1日のプログ・・・・以下

しかし、パソコンのビスタを購入してから2年前後しか経過していないのに、Cドライブの容量不足が1GBを切るような事が、ここ3ヶ月前後続いている。最悪は、200MB(メガバイト)まで落ち込んで、赤い警告表示。

そこで、Cドライブに入っている、プログラム・コマンド系のソフトを順次削除していく。履歴の保存期間を1週間に短縮。デスクトップの写真なども削除していく。もちろん、最初からインストールされているゲームプログラムも削除。過去のメールも削除。お気に入りもどんと゜ん削除。

それなのに、パソコンOSなどの命令・プログラムの主要データを保存する、Cドライブが一杯状態で、結果パソコンの動作が非常に遅くなる。とにかく普通に使って、2年前後でこうなるとは、ありえない。そもそも、私は、ゲームは、将棋とパチンコソフトぐらいしか入れていない。後は、英語翻訳、マイペディア、音楽ソフト程度だ。

その前の富士通のパソコンは、8年間、前後使用したが、特段、問題は起こらなかった。2年前に購入したNECのハードデスクの構成は、以下の通り

Cドライブ  45〜50GB (メーカーが使っているパーテンション容量もある)

Dドライブ 245〜250GB

この問題、私一人かと思ったら、ネット上で多数の人が悲鳴をあげていた。一番の原因は、ビスタOSの命令・プログラム・ファイルの容量が最初からかなり食っているためCドライブの容量は、スタート時点から少ない。そのため、ちょっとしたソフトを入れてたり、ネットやメールなどの積み重ねでCドライブが満杯になり、警告表示が頻繁に出るということになる。また、最近のパソコンウィンドウズ7では、 Cドライブ Dドライブ のパーテンション=間仕切り例として以下のようなものになっていた。要するに、Cドライブがかなり大容量へ変更している。

Cドライブ 200〜300GB

Dドライブ  60〜400GB

それにしても、ビスタの製品出荷時に、CドライブとDドライブとのパーテンション(間仕切り)をメーカー・OSの使用分を除いても

260GB以上の余裕容量があったわけであるから、CドライブとDドライブのパーテンションの割合は以下のようにすべきであったろう。

 (メーカー出荷時)

Cドライブ  45〜50GB (メーカーが使っているパーテンション容量もある)

Dドライブ 245〜250GB・・・・・・合計300GB

   ↓         ↓

 (本来なら、Cドライブに少し余裕を持たせるべきだが・・・。)

Cドライブ  80〜100GB (メーカーが使っているパーテンション容量もある)

Dドライブ 195〜200GB・・・・・・合計300GB

NECなどの3年前〜2年前前後、PCのビスタ版を購入した多くの方が、 Cドライブの容量不足に悩んでおられると思いますが、NECの場合、購入後1年経過するとサポートは全て有料で、電話は、なかなか繋がらない。パーテンションの変更は、慣れていないとかなり難しいと思います。購入者が2年もしないうちに困るような設計をしておきながら、パーテンションの変更は、自己責任で行って下さい書いてありました。これをつかまされた消費者がバカをみるようなことを平然とやって、次のパソコンを買ってくださいということだと勘繰ってしまう。

結論から言いますと、私は、以下の手順で、 Cドライブの大幅な拡張をしました。

1.外付けハード(6000円前後を購入)にDドライブのファイル記録を全てコピーして保存。

2.Cドライブで自らインストールしたプログラムファイルを全て、コピーして外付けハードに保存。

****パーテンション(ドライブの間仕切り)を行う場合、データを削除しなければならないかです。******必ず予め行ってください。

3.「コントロールパネル」から→「システムとメンテナス」→「管理者ツール」→「コンピータの管理」→(次の画面は続行をクリック)→

「デスクの管理」→

→画面が出てきたら、(私の場合)は、Dドライブを選択して

→右クリックして、「ボリュームの削除」を「はい」でクリック→「空き領域」か「未割り当て領域」の表示が画面に出る→(私の場合未割り当て)の表示でとりあえず、9割方の作業完了。

 (空き領域の表示が出たら→空き領域」をクリックして「パーテンションの削除」をクリック→「未割り当て領域」) 

4.いよいよ、Cドライブの拡張へあとわずかです。

拡張したい「Cドライブ」を右クリックで→「ボリュームの拡張」をクリック→拡張ウイザードの画面の「次へ」をクリック→「選択した容量(自動計算されている)でよかったら、画面一番したの「次へ」をクリック→画面が変わったら→「完了」をクリックで終了。

****「マイコンピュータ」からCドライブを確認しましょう******

大幅に、Cドライブの容量がアップしますが、今後は、写真類など全て、外付けハードに保存しましょう。プログラムソフトが増えると、パソコンの動きが悪くなるので、メモリーを2倍に増設するか、リカバリーを行って、Cドライブのパーテンション(間仕切りを再度行うのといいでしょう。) 

最適化とか、プログラム削除だけでは、たいした効果は期待できません。根本的なCドライブのパーテンションのやり方がおかしいので、これは、メーカーのミスだと考えています。リコールの対象になる可能性も疑っています。NECの方見てたら、困っている購入者に救済の手立てを考えて欲しいです。

最終的にCドライブは、上記写真の通り283GBに5倍以上増やしました。さらにCドライブの空き容量は12月30日現在で780MBでしたから、空き容量は300倍以上に増えました。但しCドライブのパーテンションは、OSと直結しているので、手順を間違えるとOSが動かなくなる可能性があるので、出張修理でお願いするのが一番だと思います。

これで、余程のことがない限り、5年以上は使えると思います。


マレーシア航空機、マレー半島を横断しインド洋へ墜落の可能性が濃厚

JUGEMテーマ:社会の出来事
 

マレーシア航空機、マレー半島を横断しインド洋へ墜落の可能性が濃厚



仮定の話だが、人工衛星が7時間後、失踪機から信号を受信した地域がタイ北部から下の図にあるような、タイ北部から中国領を含む北部の範囲だとするな低空で飛んだとしても、シンガポール、タイ、インド、中国の軍事レーダー網にかかるはずである。また、人口が多いのタイ北部に入るまで、目撃情報が一切というのも有り得ない。

従って、通信を経って7時間飛行続けていたとするなら、マレーシア航空の失踪機は、ハイジャックされ、マレー半島上空を通過し、インド洋南部方面で墜落した可能性が大きい。自衛隊のP3Cは、目のなれたところで、この方面に創作するのがベストだと思われる。仮に墜落したとしても生存者がいる可能性が高い。

.淵献崋鸛蠅砲茲譴弌同機は主要な通信手段が人為的に切断された。

現地時間8日午前0時41分に離陸後、同1時半ごろに通常のレーダーから消えたが、その後も人工衛星との通信が途絶えるまで7時間近く飛行を続けたと考えられる。

この間、同機は南シナ海からマレー半島を横断し、インド洋方面に飛行したもようだ。
 人工衛星が最後に同機からの信号を受信した時間は午前8時11分。地点は明らかでないが、タイ北部から北方方面と、インドネシアからインド洋にかけての二つの可能性が想定されている。

ぁ.淵献崋鸛蠅脇逎轡奮な面での捜索を打ち切り、今後は衛星からの情報を基にマレー半島西側のこれら2方面に捜索の重点を移す方針を表明した。(2014/03/15-22:44)・・・  時事通信から参照のため引用

 赤線の範囲で失踪した可能性
 
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マレーシア航空機、マレー半島を横断しインド洋へ墜落の可能性が濃厚

 

マレーシア航空機、マレー半島を横断しインド洋へ墜落の可能性が濃厚

仮定の話だが、人工衛星が7時間後、失踪機から信号を受信した地域がタイ北部から下の図にあるような、タイ北部から中国領を含む北部の範囲だとするな低空で飛んだとしても、シンガポール、タイ、インド、中国の軍事レーダー網にかかるはずである。また、人口が多いのタイ北部に入るまで、目撃情報が一切というのも有り得ない。

従って、通信を経って7時間飛行続けていたとするなら、マレーシア航空の失踪機は、ハイジャックされ、マレー半島上空を通過し、インド洋南部方面で墜落した可能性が大きい。自衛隊のP3Cは、目のなれたところで、この方面に創作するのがベストだと思われる。仮に墜落したとしても生存者がいる可能性が高い。

.淵献崋鸛蠅砲茲譴弌同機は主要な通信手段が人為的に切断された。

現地時間8日午前0時41分に離陸後、同1時半ごろに通常のレーダーから消えたが、その後も人工衛星との通信が途絶えるまで7時間近く飛行を続けたと考えられる。

この間、同機は南シナ海からマレー半島を横断し、インド洋方面に飛行したもようだ。
 人工衛星が最後に同機からの信号を受信した時間は午前8時11分。地点は明らかでないが、タイ北部から北方方面と、インドネシアからインド洋にかけての二つの可能性が想定されている。

ぁ.淵献崋鸛蠅脇逎轡奮な面での捜索を打ち切り、今後は衛星からの情報を基にマレー半島西側のこれら2方面に捜索の重点を移す方針を表明した。(2014/03/15-22:44)・・・  時事通信から参照のため引用



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マレーシア航空機、マレー半島を横断しインド洋へ墜落の可能性が濃厚

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マレーシア航空機、マレー半島を横断しインド洋へ墜落の可能性が濃厚

仮定の話だが、人工衛星が7時間後、失踪機から信号を受信した地域がタイ北部から下の図にあるような、タイ北部から中国領を含む北部の範囲だとするな低空で飛んだとしても、シンガポール、タイ、インド、中国の軍事レーダー網にかかるはずである。また、人口が多いのタイ北部に入るまで、目撃情報が一切というのも有り得ない。

従って、通信を経って7時間飛行続けていたとするなら、マレーシア航空の失踪機は、ハイジャックされ、マレー半島上空を通過し、インド洋南部方面で墜落した可能性が大きい。自衛隊のP3Cは、目のなれたところで、この方面に創作するのがベストだと思われる。仮に墜落したとしても生存者がいる可能性が高い。

.淵献崋鸛蠅砲茲譴弌同機は主要な通信手段が人為的に切断された。

現地時間8日午前0時41分に離陸後、同1時半ごろに通常のレーダーから消えたが、その後も人工衛星との通信が途絶えるまで7時間近く飛行を続けたと考えられる。

この間、同機は南シナ海からマレー半島を横断し、インド洋方面に飛行したもようだ。
 人工衛星が最後に同機からの信号を受信した時間は午前8時11分。地点は明らかでないが、タイ北部から北方方面と、インドネシアからインド洋にかけての二つの可能性が想定されている。

ぁ.淵献崋鸛蠅脇逎轡奮な面での捜索を打ち切り、今後は衛星からの情報を基にマレー半島西側のこれら2方面に捜索の重点を移す方針を表明した。(2014/03/15-22:44)・・・  時事通信から参照のため引用



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大川小学校遺族、石巻市を相手取り23億円の損賠提訴 問われる安全配慮義務責任

JUGEMテーマ:社会の出来事
 
大川小学校遺族、石巻市を相手取り23億円の損賠提訴 問われる安全配慮義務責任

なぜ惨劇回避は、可能
石巻市立大川小学校 の検証84名の尊い命・納得がいかない

石巻市の北上川の河口から5〜6km上流の川辺に緑にかこまれた小さな町と、全校児童108人のこれまた小さなきれいな学校があった。この学校の全校児童と先生80人前後が死亡か不明であることを最初に報じたのは、毎日新聞(私の記憶では)だったと思う。大津波の大混乱の中きちんとした取材がなされていたが・・・でも、本当なのだろうか、半信半疑の気持で大川小学校に電話を入れてみた。二度電話を入れた。しかし「プー・プー・プー」という音が虚しく響いてくるのみ。それから数日たって東京新聞の夕刊に変わり果てた学校の姿をみて、厳しい現実であることを受け入れることが出来た。

大川小学校は、以下写真のようにとてもきれいな学校だ。小さな町だが、郵便局も、警察も、役所も揃った田園風景と北上川の流れがとけあう美しい町だった。昨年帰宅後録画していたテレビ映像の中に以下画像が紹介されていた。参照と記録のために引用させていただきます。



東日本大震災で、児童の7割以上が犠牲になった学校は、他に無い。

石巻市立大川小学校のブログを最後に書いてから、その後、触れたくなかったには、上記のような理由からである。児童74人と教員10人が命を落とした。そのうち児童4人、教員1人が依然行方不明のままである。

心が痛むが、東日本大震災で何千という学校が被災したが、児童生徒の7割が亡くなるという学校は、大川小学校を除いて他に無かったいう事実は覆せない。このことから、酷な言い方で大変申し訳ないが、この惨劇は防げた可能性が高いと見ている。以下理由。

1.大川小学校は、石巻市の北上川の河口から5〜6km上流に位置していたが、川からは、写真からもわかるように、かなり近い。恐らく200m〜300m以内だと思われる。

2.河口からかなり離れていた為、津波は来ないだろうとの思い込みは、誰しも考えていたことであるが、他の学校は、99%以上が高台等に避難していたことから、考えても、川から近いことを考えれば、スマトラ沖地震や、過去のこの地域の津波のことも、考慮に入れるべきで、落ち着いている場合ではない。本校までの津波の遡及を想定しなかったとは考えられない。

3.大川小学校の裏は、山になっており、助かった教諭1人と児童4人は、全て、この山に駆け上がって助かっている。

4.地震発生時、1・2年生は下校。何人かが残っていた。3年〜6年生が学校に居た。

5.地震発生後15分経過した段階で、学校に居た児童全員の点呼を完了している。

6.その直後から、避難経路をめぐる意見が出る。
 ・「山へにげよう・・教員。・・山へ逃げたほうがよいとの意見が若干多い・・児童証言から」
 ・「学校へ居たほうが安全・・教員・・理由、木が倒れる等、危険や登りにくい。」
 ・これに、避難してきた地区の住民が加わり、両者の意見に介入する。
 ●この時点で、学校の校庭へも防災無線から「大津波警報、高台へ避難して下さい。」とのアナウンスが流れ続ける。
 ●6年生のA君は、「防災の無線が予想される津波の高さを3mから6mとさらに10mと徐々に高くなることを警告のアナウンスを聞いていた。
 ・さらに高台への避難を呼びかけ続けたが、突然、アナウンスが切れる。
7. 1年生児童が「山へ登る?」と聞いたら某先生が「登れない、危ないから ダメ!」と答える。
 ●教員の何人かは、今動くより、学校に居たほうが安全だと過信していた。避難したほうがよいと進言し迎えに来た母親に「お母さん、落ち着いて下さい」等逆に諌める。
 ●地域住民の意見が「学校へ居たほうが安全」、わざわざ学校へ来て「津波が来るからすぐに逃げろ!」と警告した住民に分かれる。
 ●教員・地域住民とも、意見対立が起き、判断を遅らせたものと思われる。学校が、避難の主導権を躊躇したための混乱が起きたのだろう。

8.地震発生から45分後の3時半前後、石巻市役所の広報車が最終警告をおこなっていた。
 
 ●拡声器で、津波が、長面(ながつら)の松林を越えてきていると」高台への避難を呼びかける。

9.同広報車に乗っていた石巻市の課長補佐が教頭に「津波がきます。どうしますか。危なくても山へ逃げますか。」と問うが、教頭は、答えない。

 ●この時点で、ようやく間垣の上の堤防が安全だということで、避難を開始するが、学校の前ではなく、あえて、最短距離ではない山沿いの道を通る。

 ●この時点で、時既に遅く、児童、教員らの前から津波が来るのが見えてきた。
 ●最後列に居た某教諭は、山へ駆け上がり助かった。他に山へ登った児童の何人かが助かった。あいにく、小雪の為、滑って山へ登りきる時間が足りなかった。

10.結論 大津波は十分予見し、回避する事は可能であった。
 
  
.津波が来る事は、何人かの教員が話していたことから、当初から想定していた。但し、それほど深刻なものとは、考えなかった過信がある。
地震後発生後15分後に、防災無線が「大津波警報が発令され高台への避難を呼びかける。そのうえに、津波の高さが3mから6m、10mとたかくなり、危機が迫っている事」を警告し続けた。
親、地域住民、市の職員までもが、山へ逃げることを進言していた。但し、教頭・教員・地域住民の避難を巡る意見対立が続いていた。・・・・これが最大の不幸の原因である。
こ惺擦蓮非常時、自らの命にも代えても、児童生徒を命を守る義務を負う。
ゲ召法教員や、地域住民の意見対立があったとしても、児童生徒が一番確実に保護できる場所へ、避難する指示を強力に打ち出すべきである。
市の広報車は、既に、一刻の猶予も無いことを警告しており、小さい子どもや、年よりは、教員や地域住民が背負ってでも、山へ登るべき選択をしなくてはならない。

Δ靴しながら、これほど大規模な大津波は、経験した者がなく、また、大川地区まで、津波が来た記録も無い。想定を超えた事情考慮しても、他の99.9%以上の学校では大半の児童生徒が無事に避難している事実は覆せないことから考えると、教員等への日ごろの指導を怠っていた設置者である石巻市の責任は免れるはずが無い。

即ち、それは、強力な指導力と避難指示を出せなかった学校の責任も免れないことになる。

*****これは、あくまでも、週刊現代3月5日発売の小野一光氏の記事が、正確であると確信していることが前提です。ここで述べた責任とは、一般的な責任論です。現場に居なかった者が安易な判断を下す事は出来ません。しかし、同じ情況にありながら、99.9%以上の学校の児童生徒は、殆んど無事に保護されていた事実を覆す事は出来ません。

あらためて、亡くなられた、74人のお子さん、また、最後まで、子ども達の命を守ろうとされた10人の先生方の御冥福を謹んでお祈りいたします。







以下記事は、参照と記録のため河北新聞から引用させていただきました。

 大川小は震災時、児童数108人だった。無事だった34人のうち28人が登校。全員で黙とうし、死亡が確認された児童56人を悼み、不明の18人を案じた。教職員も休暇だった柏葉照幸校長らを除く10人が不明となり、うち7人の死亡が確認された。あいさつで柏葉校長は「力を合わせみんなで頑張っていこう」と呼び掛けたという。

 登校時は少し表情が硬かった児童たちも、久しぶりの仲間との再会を抱き合って喜び、一緒に遊具で遊ぶ姿も見られた。
 この日は、学校から保護者へ事故時の様子が説明された。学校によると、地震時は下校準備中で児童全員が校庭に避難。裏山は倒木で危険と判断し、校舎内への避難も検討した後、新北上大橋方面への避難を始めた途中で津波に襲われたという。
 新年度の授業は、飯野川一小など他校の教室を借りて行う方向。「被災した児童に役立ててほしい」と、住民からは中古のランドセルや文房具などの善意が届いている。




◎「なぜ多くの犠牲」/保護者ら膨らむ疑問

 津波で多数の児童が犠牲になった石巻市大川小。最愛のわが子を奪われた親は、がれきに埋もれた校舎や避難所で29日を迎えた。頭をよぎるのは「学校はなぜ、子どもの命を守れなかったのか」との思い。日ごとに膨らむ疑問と説明不足への不満は、学校に対する不信感に変わりつつある。
 大川小周辺では29日も、消防団や自衛隊、警察など数十人態勢での捜索活動が続いた。子どもが行方不明になっている親たちも連日、捜索に加わっている。
 3姉妹の末娘の6年生愛さん(12)が行方不明になっている会社員狩野孝雄さん(42)も、毎日のように現場を歩く。「学校にいれば大丈夫、校舎の2階にでも避難していると思っていた」という。なぜこれほどの犠牲が出たのか、裏山に避難できなかったのか―。足を運ぶたびに、次々と疑問が浮かぶ。



 捜索活動は校舎周辺がほぼ終わり、29日は校舎東側の沼で行われた。「見つからないかもしれない」と狩野さん。「下校中、一人で被害に遭わなかっただけよかった。友達と一緒だったから」
 3年生の息子が行方不明になっている40代の父親は、市内の避難所から、各地の遺体安置所に通う日々が続く。学校からは、当時の状況について説明がない。「津波から逃げる時間は十分にあったはず。学校は子どもが犠牲になった親一人一人に説明すべきだ」と憤る。

 「今頃は卒業しているはずだったのに」と話すのは、6年生の息子を失った30代の母親。自宅は津波に流され、避難所に身を寄せる。「卒業証書でも、卒業アルバムでも、息子の思い出が欲しいが、子どもを失った親に学校からの連絡はない」と涙を浮かべた。
 6年生の息子を亡くした男性は、時間が過ぎ、冷静さを取り戻すにつれて悔しさが増す。「誰が悪いではなく、徹底的に検証してほしい。今後のために子どもたちの死を無駄にしてほしくない」と語気を強めた。

 以下写真は東京新聞3月23日夕刊より記録の為引用させていただきました。

大川小学校遺族、23億円損賠提訴へ、安全配慮義務責任を問う 悲痛な訴え

JUGEMテーマ:学校のこと
 なぜ惨劇回避は、可能石巻市立大川小学校 の検証84名の尊い命・納得がいかない

石巻市の北上川の河口から5〜6km上流の川辺に緑にかこまれた小さな町と、全校児童108人のこれまた小さなきれいな学校があった。この学校の全校児童と先生80人前後が死亡か不明であることを最初に報じたのは、毎日新聞(私の記憶では)だったと思う。大津波の大混乱の中きちんとした取材がなされていたが・・・でも、本当なのだろうか、半信半疑の気持で大川小学校に電話を入れてみた。二度電話を入れた。しかし「プー・プー・プー」という音が虚しく響いてくるのみ。それから数日たって東京新聞の夕刊に変わり果てた学校の姿をみて、厳しい現実であることを受け入れることが出来た。

大川小学校は、以下写真のようにとてもきれいな学校だ。小さな町だが、郵便局も、警察も、役所も揃った田園風景と北上川の流れがとけあう美しい町だった。昨年帰宅後録画していたテレビ映像の中に以下画像が紹介されていた。参照と記録のために引用させていただきます。



東日本大震災で、児童の7割以上が犠牲になった学校は、他に無い。

石巻市立大川小学校のブログを最後に書いてから、その後、触れたくなかったには、上記のような理由からである。児童74人と教員10人が命を落とした。そのうち児童4人、教員1人が依然行方不明のままである。

心が痛むが、東日本大震災で何千という学校が被災したが、児童生徒の7割が亡くなるという学校は、大川小学校を除いて他に無かったいう事実は覆せない。このことから、酷な言い方で大変申し訳ないが、この惨劇は防げた可能性が高いと見ている。以下理由。

1.大川小学校は、石巻市の北上川の河口から5〜6km上流に位置していたが、川からは、写真からもわかるように、かなり近い。恐らく200m〜300m以内だと思われる。

2.河口からかなり離れていた為、津波は来ないだろうとの思い込みは、誰しも考えていたことであるが、他の学校は、99%以上が高台等に避難していたことから、考えても、川から近いことを考えれば、スマトラ沖地震や、過去のこの地域の津波のことも、考慮に入れるべきで、落ち着いている場合ではない。本校までの津波の遡及を想定しなかったとは考えられない。

3.大川小学校の裏は、山になっており、助かった教諭1人と児童4人は、全て、この山に駆け上がって助かっている。

4.地震発生時、1・2年生は下校。何人かが残っていた。3年〜6年生が学校に居た。

5.地震発生後15分経過した段階で、学校に居た児童全員の点呼を完了している。

6.その直後から、避難経路をめぐる意見が出る。
 ・「山へにげよう・・教員。・・山へ逃げたほうがよいとの意見が若干多い・・児童証言から」
 ・「学校へ居たほうが安全・・教員・・理由、木が倒れる等、危険や登りにくい。」
 ・これに、避難してきた地区の住民が加わり、両者の意見に介入する。
 ●この時点で、学校の校庭へも防災無線から「大津波警報、高台へ避難して下さい。」とのアナウンスが流れ続ける。
 ●6年生のA君は、「防災の無線が予想される津波の高さを3mから6mとさらに10mと徐々に高くなることを警告のアナウンスを聞いていた。
 ・さらに高台への避難を呼びかけ続けたが、突然、アナウンスが切れる。
7. 1年生児童が「山へ登る?」と聞いたら某先生が「登れない、危ないから ダメ!」と答える。
 ●教員の何人かは、今動くより、学校に居たほうが安全だと過信していた。避難したほうがよいと進言し迎えに来た母親に「お母さん、落ち着いて下さい」等逆に諌める。
 ●地域住民の意見が「学校へ居たほうが安全」、わざわざ学校へ来て「津波が来るからすぐに逃げろ!」と警告した住民に分かれる。
 ●教員・地域住民とも、意見対立が起き、判断を遅らせたものと思われる。学校が、避難の主導権を躊躇したための混乱が起きたのだろう。

8.地震発生から45分後の3時半前後、石巻市役所の広報車が最終警告をおこなっていた。
 
 ●拡声器で、津波が、長面(ながつら)の松林を越えてきていると」高台への避難を呼びかける。

9.同広報車に乗っていた石巻市の課長補佐が教頭に「津波がきます。どうしますか。危なくても山へ逃げますか。」と問うが、教頭は、答えない。

 ●この時点で、ようやく間垣の上の堤防が安全だということで、避難を開始するが、学校の前ではなく、あえて、最短距離ではない山沿いの道を通る。

 ●この時点で、時既に遅く、児童、教員らの前から津波が来るのが見えてきた。
 ●最後列に居た某教諭は、山へ駆け上がり助かった。他に山へ登った児童の何人かが助かった。あいにく、小雪の為、滑って山へ登りきる時間が足りなかった。

10.結論 大津波は十分予見し、回避する事は可能であった。
 
  
.津波が来る事は、何人かの教員が話していたことから、当初から想定していた。但し、それほど深刻なものとは、考えなかった過信がある。
地震後発生後15分後に、防災無線が「大津波警報が発令され高台への避難を呼びかける。そのうえに、津波の高さが3mから6m、10mとたかくなり、危機が迫っている事」を警告し続けた。
親、地域住民、市の職員までもが、山へ逃げることを進言していた。但し、教頭・教員・地域住民の避難を巡る意見対立が続いていた。・・・・これが最大の不幸の原因である。
こ惺擦蓮非常時、自らの命にも代えても、児童生徒を命を守る義務を負う。
ゲ召法教員や、地域住民の意見対立があったとしても、児童生徒が一番確実に保護できる場所へ、避難する指示を強力に打ち出すべきである。
市の広報車は、既に、一刻の猶予も無いことを警告しており、小さい子どもや、年よりは、教員や地域住民が背負ってでも、山へ登るべき選択をしなくてはならない。

Δ靴しながら、これほど大規模な大津波は、経験した者がなく、また、大川地区まで、津波が来た記録も無い。想定を超えた事情考慮しても、他の99.9%以上の学校では大半の児童生徒が無事に避難している事実は覆せないことから考えると、教員等への日ごろの指導を怠っていた設置者である石巻市の責任は免れるはずが無い。

即ち、それは、強力な指導力と避難指示を出せなかった学校の責任も免れないことになる。

*****これは、あくまでも、週刊現代3月5日発売の小野一光氏の記事が、正確であると確信していることが前提です。ここで述べた責任とは、一般的な責任論です。現場に居なかった者が安易な判断を下す事は出来ません。しかし、同じ情況にありながら、99.9%以上の学校の児童生徒は、殆んど無事に保護されていた事実を覆す事は出来ません。

あらためて、亡くなられた、74人のお子さん、また、最後まで、子ども達の命を守ろうとされた10人の先生方の御冥福を謹んでお祈りいたします。







以下記事は、参照と記録のため河北新聞から引用させていただきました。

 大川小は震災時、児童数108人だった。無事だった34人のうち28人が登校。全員で黙とうし、死亡が確認された児童56人を悼み、不明の18人を案じた。教職員も休暇だった柏葉照幸校長らを除く10人が不明となり、うち7人の死亡が確認された。あいさつで柏葉校長は「力を合わせみんなで頑張っていこう」と呼び掛けたという。

 登校時は少し表情が硬かった児童たちも、久しぶりの仲間との再会を抱き合って喜び、一緒に遊具で遊ぶ姿も見られた。
 この日は、学校から保護者へ事故時の様子が説明された。学校によると、地震時は下校準備中で児童全員が校庭に避難。裏山は倒木で危険と判断し、校舎内への避難も検討した後、新北上大橋方面への避難を始めた途中で津波に襲われたという。
 新年度の授業は、飯野川一小など他校の教室を借りて行う方向。「被災した児童に役立ててほしい」と、住民からは中古のランドセルや文房具などの善意が届いている。




◎「なぜ多くの犠牲」/保護者ら膨らむ疑問

 津波で多数の児童が犠牲になった石巻市大川小。最愛のわが子を奪われた親は、がれきに埋もれた校舎や避難所で29日を迎えた。頭をよぎるのは「学校はなぜ、子どもの命を守れなかったのか」との思い。日ごとに膨らむ疑問と説明不足への不満は、学校に対する不信感に変わりつつある。
 大川小周辺では29日も、消防団や自衛隊、警察など数十人態勢での捜索活動が続いた。子どもが行方不明になっている親たちも連日、捜索に加わっている。
 3姉妹の末娘の6年生愛さん(12)が行方不明になっている会社員狩野孝雄さん(42)も、毎日のように現場を歩く。「学校にいれば大丈夫、校舎の2階にでも避難していると思っていた」という。なぜこれほどの犠牲が出たのか、裏山に避難できなかったのか―。足を運ぶたびに、次々と疑問が浮かぶ。



 捜索活動は校舎周辺がほぼ終わり、29日は校舎東側の沼で行われた。「見つからないかもしれない」と狩野さん。「下校中、一人で被害に遭わなかっただけよかった。友達と一緒だったから」
 3年生の息子が行方不明になっている40代の父親は、市内の避難所から、各地の遺体安置所に通う日々が続く。学校からは、当時の状況について説明がない。「津波から逃げる時間は十分にあったはず。学校は子どもが犠牲になった親一人一人に説明すべきだ」と憤る。

 「今頃は卒業しているはずだったのに」と話すのは、6年生の息子を失った30代の母親。自宅は津波に流され、避難所に身を寄せる。「卒業証書でも、卒業アルバムでも、息子の思い出が欲しいが、子どもを失った親に学校からの連絡はない」と涙を浮かべた。
 6年生の息子を亡くした男性は、時間が過ぎ、冷静さを取り戻すにつれて悔しさが増す。「誰が悪いではなく、徹底的に検証してほしい。今後のために子どもたちの死を無駄にしてほしくない」と語気を強めた。

 以下写真は東京新聞3月23日夕刊より記録の為引用させていただきました。

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